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ネパールの王族と歴史~ネパールとネワール


こたろうです!ネパールの国の成り立ちについてご紹介します。主にネパールの王政について。

わたしも勉強中の歴史ですが、これを知っているとネパールレストランに言っても、民族間のお料理の違いが分かって面白いですよ!

 

   

人民戦争と王政廃止

ネパール、正式名称はネパール連邦民主共和国。王国ではないです。で

 

も共和国になったの結構最近の2008年なんですよ。まだ10年くらいなんです、今の国の形になったの。

 

 

王政廃止の話、その裏には、なかなか濃い事件があります。

 

ネパール王族殺戮

恐ろしい事件

それが起きたのは2001年の6月と、21世紀にはいった初夏。

宮殿内でディペンドラ王太子が自分のお父さんを含む王族を皆殺し!事件。

 

結果、ビレンドラ国王一家は全滅しました。

 

その後、弟のギャネンドラが即位しましたが、もともと、事件の10年程前に制定された新憲法のもとでの議会政治に対し、新王は大権を発令して自ら親政を行いました。

 

今度はこれに対して議会が反発。ついに王政は廃止されました。

 

しかも、王族殺戮事件のドタバタ直前から始まった人民戦争は10年にも及び、15000人もの市民が命を落としています。

 

 

つまり、最近でこそ聞きませんが、アランの若い頃はネパールは非常に政情不安な国だったんです。

 

ネパールの王制歴史~ネパール人とネワール人 

9世紀後半から12 世紀までネパールの歴史は資料もあまり存在せずよく分かっていないそうです。

 

それもミステリアス・・・

 

13世紀にはカトマンズ盆にマッラ王朝が支配しました。そのうちの15世紀から3つに分裂しました。というのは、王様三兄弟が、それぞれに自分の王朝をもったんです。

 

それが現在のカトマンズ市・パタン市・バクタプル市。 


そのときに、それぞれ競うように作られた王宮建築や彫刻などは、今もそれぞれの街を中世にタイムスリップさせてくれる大きなポイントになっています。

 

ちなみに、これこそマニア情報ですが、

マッラ王朝はネワール人です。厳密にはネパール人というときの民族と違うんです。顔も違います。 (最近こたろうの方が見分けがつく) 

 

同じ頃、今のネパールにあたるカトマンズの外にも数十の小国が列挙していました。

 

18世紀後半になると、プリティビ・ナラヤン・シャハ王という王様がこれを統一。19 世紀の頭までには、今のネパールよりも横に長い地域を統治していたそうです。この王朝が、20世紀まで続いたネパール王国なんですね。

ネパール建国

ネパール建国!


 

ちなみにこのプリティビ・ナラヤン・シャハ王はネパール人です。

 

だからネパールではネワール族ではなくネパール族こそがネパール人だ!と、言う人が多いのね~。

 

でも、すごく長く統治してたのはネワール族のマッラ王朝なんですね。ネパール系の人にいったら怒られそうだけど。。

 

ネパール人とネワール人では食べ物も違うんですよね。

 

最近ネパール料理レストランが多い、東京の新大久保。行く機会がある方、メニューをよく見てみてください。”ネワール料理”と書いてあるメニューと”ネパール料理”とがあると思います。

ネパール料理の代表料理は、ダルバートです。

ダルバート

ネパールのダルバートです

いっぽう、ネワール料理ではお米は、ビトンライスといって茹でたご飯を平たく叩いて乾燥させたお米です。
写真がなくてごめんなさい・・ お店のお写真で・・これ、ビトンライスです。

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